経済・政治・国際

2017年5月20日 (土)

ピースは揃った。

一強体制≒翼賛政治。
一億総活躍社会≒国家総動員体制。
テロ等準備罪≒治安維持法。
安保法制=攻守同盟。
「改正」後の教育基本法≒教育勅語。

実質的に準備完了。
気付く人は気付いてた。

例えば、小林多喜二や山本宣治。

明日は、どっちだ、ではなく、明日はこっちだ。

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2015年8月22日 (土)

まあいいじゃない、それくらい。

言葉を大事にしない者は、言葉に泣くものです。
常々、言葉が軽い人だと思っていましたし、多くの人もそう思っているのではないかとも考えているのですが、それにしても。
沈黙は金なり、とまでは言いませんが、軽薄さは殆ど犯罪と言っても過言ではありますまい。軽薄な言葉を20分連ねても、ほぼ無意味ということですわ。

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2015年6月10日 (水)

やっと本番

やっと、本論に入りました。
そもそも、あれら11法案は違憲ではないのか?これまで、文言の解釈がどうのという質疑が横行していましたが、ようやく本来議論すべき地点に達したようです。

高村正彦が、学者の言うことを鵜呑みにする(野党の)政治家に問題がある云々と言ったようですが、ある意味では正しいですね。あの、3人の発言が無ければ、この問題が国会で憲法論に達する事は無かったかも知れないですから。最初から、11法案が違憲の存在だと明言していたのは、さてどの党だったですかね。ま、憲法調査会の場で、3人の発言を引き出したのが、民主党の議員だったことだけは評価してもいいかも知れませんが。

尤も、もし3人のうち1人でも合憲と発言していれば、ほら合憲だ、高名な憲法学者もそう言った、と触れ回ったに決まっているので、こういうのを目糞鼻糞と呼ぶのでしょう。
合憲だと言っている憲法学者の名前を「いっぱい」出せ、と辻元清美に迫られた菅義偉、「数ではないと思いますよ」。いっぱいいるって言ったの、お前だろsmileと辻本が突っ込んだかどうかは定かではありませんが、合憲だと言っているのは、学会でそれこそ鼻糞のような人達が3人くらいのようですよ(苦笑)。

その高村、「砂川判決では集団的自衛権は否定されてない。読んでないだろ」と村上誠一郎に言ったとか。
あのさあ、あの判決の背景を明確にしておかなくては。あの裁判で問題になったのは、戦力不保持が憲法第9条第2項で規定されていることと、◯軍が駐屯・駐留していることについての関係、つまり◯軍の駐屯・駐留を基礎付けている日米安保条約が合憲であるか否かでした。
既に2回言及していますが、当時の日米安保条約には、◯軍に日本の防衛義務は課されていなかった。そして、当時も今も日本には◯国なり◯軍の防衛義務はありません。どうしたら、あの判決から、日本が集団的自衛権(という名の他衛権)を行使するのが合憲だ、という結論が導出出来るのかは不分明としか言い様がありません。
まあ、田中耕太郎裁判長の補足意見は、そこまで踏み込んでいるかも知れませんが。今読むと、彼は◯国の代弁者か、或いは4次元時空連続体を越えて安倍晋三の応援団であるかのようです。高村が見つけて飛びついたのも無理からぬところ。

だいたい、あの砂川判決に当たって、◯国の圧力・介入があった事、そして人もあろうに田中最高裁長官が積極的に呼応した事も明らかになっているようですし(これも公文書の公開を原則としている◯国のおかげ。今後の日本では「特定秘密」として半永久的に非公開かも)、それを引っ張り出して、最高裁の正当(正統)な違憲立法審査による合憲判断と言うのも、これまた暴論ですわな。司法権の独立侵害、ひいては内政干渉という主権侵害に基づく判例です。主権国家に固有の集団的自衛権が聞いて呆れます。この点はもっと強調されてよいと思いますが。←野党の諸氏。

それから、集団的自衛権なるものを基礎付けているのは何か。よく、「国際法上」と言及されますが、成文法として明言している代表(というか、私は他に知らないcoldsweats01)は国連憲章第51条ですね。ただ、日米安保条約の前文や第4条を読むと解るのですが、集団的自衛権なるものの向かう先は、憲章第52条以降、つまり「第8章 地域的取極」です。それは、日米安保条約でのいわゆる極東条項として具体化されている訳ですが、11法案はこれも踏み越えています。だから、集団的自衛権の行使もアリだとする人達にとっても、11法案はおかしい、違憲だ、ということになるのでしょう。

中谷元の「現在の憲法をいかに法案に適用させていけばいいのか、という議論を踏まえて」云々は単なる失言ですから、論評の価値はありませんが、辻本が指摘したとおり、本音がポロッと出たのでしょう。

閑話休題。

そういえば、現役自衛官(武官)が防衛大臣を直接補佐する防衛省設置法改定案が可決されたそうで。ある意味では、戦前の制度(慣習と官制に基づくものであって、帝国憲法で規定されていた訳ではないですよ)より悪いかも知れません。
戦前、参謀総長・海軍軍令部長(のち軍令部総長)が補佐(補翼)する相手は、最高司令官つまり「大元帥」としての天皇でした。内閣総理大臣、或いは陸軍大臣・海軍大臣という、輔弼責任を有する人達を補佐する権限も義務も無い。確かに、陸軍大臣・海軍大臣は一時期を除いて官制上、現役武官でなければならなかったのですが、彼らは憲法上の輔弼責任を負っていました。
「補佐する」と言うと、ああ、あくまで決定権を持つのは防衛大臣乃至そっから上の文官なんだな、と考える。しかし、補佐するというのは責任を負わないということです。いわゆる制服組に「補佐」することも認めていなかったのは、逆に言えば制服組に無責任な「補佐」はさせないという事ではなかったか。制服組が責任を負うのは作戦面であって、政治的な責任は一切負わない、そうすることで制服組は余計な事を考えずに現場(戦闘)に集中し、その代わりに政治には容喙しない。
今後は、政治的責任を負わない制服組が大臣=政治家を「補佐」するようになる。
これ、後退でしょ。

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2015年5月30日 (土)

答えない人

訊かれた事には、真面目に答えましょう。

何故、Aなのですか?
Aだからです。

こういうのをトートロジーと言うのですが、大学の哲学の授業で習いませんでしたか?ああ、成蹊大学ではロクに勉強しなかったようですねcoldsweats01
で、それはおかしい!と指摘すると、「無責任なレッテル貼りだpout」と逆ギレする。無責任な答弁をしておいて、他人を無責任呼ばわりすることこそ、無責任なレッテル貼りなのですが。

「安全保障のジレンマ」という考え方がありますけど、これは質問する側も余り突っ込んでいないようです。軍備増強なり軍事同盟なり、(特定の相手を意識して)自分とこの「安全」を追求する行為が、当該特定の相手側にも同様の行為をとらせることとなり、結局は緊張を高めて、最終的には衝突に繋がる…
ここから派生したのが「囚人のジレンマ」で、ゲーム理論に発展するのですが、いずれも、行為の意図せざる結果という、R.K.マートンが提起した社会学の古典的命題ですね。

人によっては(というか安倍もそういう立場で話している「つもり」でしょうが)、抑止力が働いて、衝突には繋がらないと言うかも知れません。しかし、これは核軍備の世界の話です。つまり、衝突すると双方破滅するから、衝突しないと。私はこれに異論を唱えるものですが、もともと「抑止力」概念は核兵器の世界の話なのです。通常兵器には「抑止力」概念は必ずしも妥当しない。

こういう事を解っていて、抑止力が高まるからリスクは低くなるとか言っているとすれば、嘘つきということになるでしょうし、解っていないとしたら、不勉強ということになります。

したがって、普天間基地の件について云えば、あれを(残置するなり「移転」するなり、いずれにしても)「抑止力(の維持)」とは言いません。

沖縄の話が出たついでに、彼の「お祖父ちゃん」との関係にも触れておきましょう。
彼は常々、お祖父ちゃんの遺志を継ぐとか言っているようですが、岸信介の「遺志」と彼のやろうとしていることとは違うようですよ。
以前にも言及しておきましたが、岸信介内閣での安保条約改定は、ただの駐軍協定に過ぎなかった旧安保条約を、◯国側に日本(の施政下にある区域)の防衛義務を課すことで、片務的な条約を双務的にしたものでした。そのことの是非はさておき、岸信介にとって、◯軍が日本に好き放題駐留して、世界戦略を展開するための軍事拠点にしているのが我慢ならなかったのでしょう。勘違いしている、或いは知らない(振りをしている)人が一杯いますけど、安保条約は元々、◯軍が日本を守るものではなかった訳です。つまり、◯軍は必ずしも日本を守るために居座っているのではない。だから岸は、沖縄の返還も要求したようですね。

孫はどうか。更に、◯軍に奉仕しようとしている。現状が双務的で無いと云って。これは、はっきり答弁していますね。
沖縄の◯軍基地を減らさせるつもりもない。「基地負担の軽減」と口では言っていますが、沖縄の人々にとって「基地負担の軽減」とは◯軍基地の縮減~撤廃であり、普天間基地ひとつばかり、同じ沖縄県内に「移転」させるのとは全く違います。辺野古への新基地建設に反対するのは普天間基地の現状固定化を是認するものだ、という言説は言いがかりです。最近、どなただったか(若い方だったと記憶していますが)、このような物言いは「ギロチンか電気椅子か」という論理であって、死ぬことには変わりないと、かなり切なく訴えていましたね。

バカなネトウヨは、歴史を勉強せず、したがって歴史を知らないから、安倍の言う事を真に受けているのでしょうが、あんなの、保守主義でも民族主義でもありません。リアル右翼の方の中には、安倍の言うことやることなすこと、日本人の面汚しだと思っている人もいると思うんだけどなぁ。

閑話休題。

例によって、菅義偉が「ヤジの方が注目されて、中身が議論されないのは残念」云々とか言いましたが、彼らにとってはその方が好都合かも知れませんね。実際、このニュースに「(与党も野党も)どっちもどっち」とかコメントしているバカが結構いますから。
でも、国会中継を視れば、ヤジの声が多くて大きいのはどちらかは明らかですし、「与党」ではない(議員=立法府の一員としてではなく、あくまで行政府の長として答弁する立場にある)安倍が、人もあろうにヤジ将軍ですからcoldsweats02
さすがの辻元清美が絶句するのも当然でしょう。

国民はその民度相応の政府しか持たない、とはよく云われることですが、国会の様子を視ていると、最近はその感が増しています。
何でも他人事。ロジックよりもエモーション。そりゃ人間、理屈だけでは動きませんが、ロジックを示さないのは不誠実の誹りを免れないですし、ロジックを示せないのは阿呆。
民度相応ということですか。

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2015年3月21日 (土)

なんだ、これは。

もうさあ、なんも言えません。

言いたいことは既に言ってるから、改めて書くことは少ないけど、ものには限度があるでしょ。
戦争がしたいというか、◯国によく思われたいというか。◯国に恩を売って、いざという時(それって何?)に何とかしてもらいたい?

それは幻想。
◯国はリアリズムの国。自国の国益に反することは絶対にしない。そして、◯国の国益が、日本の国益と一致するという保証を誰がするか。
だいたい、奉公に精を出して本領安堵って発想ですね。ここは鎌倉時代か。

抑止力抑止力と馬鹿の一つ覚えか鸚鵡。

私が余り好きではない阿川弘之の『井上成美』の一節から。

「われわれの間で議論になったのですが、教官の所見を承らせて下さい。英米と戦っても結局戦勝の道は無いということですか」
学生の一人今里義光大尉に質問された井上は、戦略上数理の上では勝てないと答え、
「それには外交というものがある」

戦略とは本来、政戦両略、外交も含めての大戦略であって、軍事力だけが安全保障ではありません。いや、もちろん、政府与党並びにそのお先棒を担ぐ人達及び腰巾着になっている人達が無思想という訳ではありません。ただ、それが◯国追従、◯国の軍事力に期待一辺倒という、まことにおかしな外交思想というだけで。

外交も含めての大戦略ということは即ち、国際政治ということであって、政治に何より求められるのは正統性legitimacyです。イマドキ、◯国の行為行動に正統性があると思っている人、どれくらいいますか?イラク戦争で十二分に証明されている筈の事でしょ。

どう見ても、Might is Rightっていう19世紀的な発想。「ジャングル」の発想。
彼の脳味噌の中身は、全部19世紀的なんだな。憲法「改正」案ひとつ取っても、そう。

改革改革と叫んでいるけれど、やっぱり保守。いや反動。
あの顔を見ていると、近衛文麿を思い出さずにはいられません。近衛もそうだった。清新改革イメージだったようだけど、単なる反動。

こんな国に生まれてくるんじゃなかった。

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2015年1月 1日 (木)

本当の「歴史認識」

相変わらず「歴史認識」という、意味不明な単語が乱舞しているけれど、本来は事実に対する態度の問題でしょう。

こんな世の中だから、私には、あの方のお言葉が何より心に響くんですよ。
全文はこちら http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gokanso/shinnen-h27.html を御覧いただきたいですが。

「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています」

自虐史観ならぬ、自慰史観(オナニー史観)を振りかざす人達は、どう受け止めるのか。

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2014年5月26日 (月)

ちかごろ、すさまじきもの。

横綱の注文相撲。
「勝負に徹する」と云えば格好いいですが、本来、横綱は「勝負に徹」しなくても優勝を義務付けられる、勝負に拘らなくても勝利するほど強くあれ、という苛酷な地位なのですよ。

クンロク横綱。
「クンロク」の後に続く単語は「大関」なのです。もちろん、蔑称です。クンロク横綱などというものは、存在してはなりません。

1億人相手のペテン。
双務性云々と言ってますが、1960年改定前の日◯安保条約がどのようなものだったかを想起すれば、現状が片務的などと言える筈がないのです。
改定前の条約、それはすなわち単なる駐軍協定に過ぎなかった。それを、◯軍に日本の施政下にある区域の防衛義務を課した、というのが1960年改定でした。その改定の内容や経緯はさておき、現状が片務的だというのは、沖縄をはじめ、◯軍基地を抱える地域の国民に対して失礼というものです。
だいたい、◯軍と共同して「自衛」措置をとりたくて仕方が無い、というのが現在の議論の根底にある訳ですが、その前提として、◯軍の行動が日本の平和と安全に背反しないという確信というか信仰のようなものがあるように思いますけど、それを誰が担保してくれますか?
それから、集団的自衛権について議論するのに、「グレーゾーン」だの「周辺事態」だのを抱き合わせるのも、姑息なやり口ですね。集団的であると個別的であるとを問わず、自衛権の発動は、明確な武力攻撃の発生が条件の筈ですが。

国際連合憲章第51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
(「国際連合広報センター」掲載の邦訳から転載)

武力攻撃を仕掛けてきそうだから先手を打つ、放置するといざ戦争になったときに敵わないから先手を打つ。ここ四半世紀の◯国の行動は、こういう理屈でしょう。これって、19世紀的な発想というか、「戦争に訴える自由」の主張ですよね。

積極的だか消極的だか、「平和主義」を標榜しておいて、世界が戦争ジャングルだった時代のロジックを展開するのは、恥知らずというものでしょう。

ぁあぁぁぁ、すさまじい。

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2014年3月 3日 (月)

Whoがない。

5W1Hが何事も基本です。

最近、NHKが揺れているとか何とか言われているようですが。
会長を選んだのは誰?経営委員会ですね。
経営委員は誰が任命したの?衆参両院の同意を得て、内閣総理大臣が任命したのですよね。

イカれた会長を選んだ経営委員会に、イカれた経営委員を送り込んだのは誰?ってことです。

NHKを揺すぶったのは誰?っていう肝腎なWhoが抜け落ちているメディアって何よ。矛先の向きが違うでしょ。

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2013年12月29日 (日)

タマゴが先か、ニワトリが先か。

国家あっての国民か。国民あっての国家か。

企業あっての社員か。社員あっての企業か。

どちらの考え方に就くかで、物の見方が大きく変わるでしょう。昨今、いずれも前者の考え方が強く出ているような気がしてなりません。

「企業あっての社員」と考える者が経営している会社は、多分、ブラック企業などと呼ばれるカテゴリーに含まれると思いますが、「国家あっての国民」と考える政治家が権力を行使する国家は、何と呼べばよいでしょうかね。
そもそも、国民とか国家という概念は、そんなに古いものではないようです。せいぜい200年くらい。
あっと、このテーマにハマると、朝になってしまいそうなので、深入りしないでおきますが、国家が国民の共同体であるかの如く考えてはならないということだけ押さえておきましょう。誰が言ったか忘れましたが、国民の共同体としての国家、という考え方は、想像の共同体と呼ばれるようです。ばななパパの云う、共同幻想って奴ですか。

社会学的に云うと、国家とは社会が自らの統治を委ねた機能集団に過ぎません。勿論、必要があって国家を存立させている訳ですが、ここんとこを弁えないと、国家の消滅を目標にする人や、過剰なナショナリズムに走る人が出てきてしまいます。くわばらくわばら。

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2013年11月26日 (火)

「等」「その他」

法令その他の役所から出る文書で、「等」「その他××なもの」「××その他の◯◯」といった表記が多用されているものは注意が必要です。

尤も、普通の法令なら、「等」や「その他」の範囲が政省令で定められたり、地方公共団体宛の通知通達で解釈が示されるものですが、今回は、範囲や解釈自体が秘密とのことですし、地方公共団体が通常扱わない事物が対象の法律であるようですから、「秘密とは何か?それは秘密です」というEpistropheが法律として罷り通ることになるのでしょう。

息苦しい(生き苦しい)時代の始まりでしょうか。

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