2020年5月10日 (日)

おかしいことばっかり

どさくさ紛れの誹りは免れまいて。

こんな時に、検察庁法改悪や、種苗法改悪を、例の得意技、一括法案で上程するってなんだかなあ。

無理筋の「法令解釈変更」を恒久化するとか、米国の農業メジャーに「寄り添った」制度とか、国民の方を見ない政治(政府と議会)も極まれり。

どさくさ紛れでやりたいからか、委員会に法相を呼ばないとか、中身だけでなく、プロセスも手荒。

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2019年3月12日 (火)

回答になっていない。

いわゆる幼児保育無償化、保育所・幼稚園・認定こども園の保護者等負担をロハにする件。

消費税増税分を財源とするということは、消費税増税分の配分先は高所得層となるのであり、不公平感を増大させる。待機児童解消が先決では。

と問われて、アベさまのNHKによる編集後の、奴の答弁によれば、

低所得層の保育料は既に低減されており、消費税増税分の配分先が高所得層であるとの指摘は当たらない。

とか。は?
奴がアホなのか、国営放送の編集がトロいのか、よくわかりませんが、まともな答えになっていません。低所得層の保育料は既に低減されているので、(今回の幼児保育無償化の恩恵は高所得層にしかありましぇん、)と聞こえました。

幼稚園は違う筈ですが、いわゆる認可保育所の場合は、保護者等負担は応能負担体系(正確に言うと、私営保育所の運営費に係る国庫負担額の計算が保護者等の所得税額等に照応)なので、一律無償化すると、一層美味しいのは高所得層ということになります。
尤も、最近は余り言われないものの、サラリーマン世帯は収入の捕捉率が高いので、2馬力ですと「高所得層」カウントで、2馬力での収入増分の、かなりの部分が保育料で吹っ飛ぶことも多いとは思いますが。

なんにしろ、金のある奴も、金のない奴も、一律というのは、平等ですが公平とは言えません。それは、負担を求める場合だけでなく、負担を減らす場合も同じで、負担を減らすための財源が税、それも一律税率の税となると、これは明らかな逆再分配(仮称)でございます。
こうなると、公平でないのは固より、平等ですらないということになりませんでしょうか。

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2019年2月25日 (月)

毎度のことですが…

沖縄県の県民投票。思ったより「どちらともいえない」が少なかった印象。「妥協」は大勢にあまり影響することなく、あれらの作戦は失敗した格好。

いつも思うのですが、物は言い様、印象操作まがいの言葉遣いが横行。
「…ですが、○○はありません。」と言うか、「○○はありませんが、…です。」と言うかで、与える印象はかなり変わるものです。前者は諦めを促す意図がありあり。
今回は、「○○」に「法的な拘束力」という単語が代入されるのですが、前者多用の代表が言わずと知れたアベ様のNHKと。

まあ、色んな方が言っているので、くだくだしくは述べ立てないけど、この件に関して言えば、ほぼ全てのマスメディアが「移設」という言い方でミスリード(まやかし)を積み重ねてはいますが、普天間基地の運用停止と、辺野古新基地の開設とが、確実にリンクすると言うか、trade-offになるという担保は取れていない。だから、まやかし。
人によっては、辺野古新基地は第二のもんじゅ、未完のプロジェクトになるとも。

そこがわからないと、政権や大半のマスメディアが垂れ流す言い分が与件ということになり、何故ワンイシューの県民投票になったかも理解できない筈で。

「黙殺する」のが得意な政治屋が昔からいる上、「声無き声」を誤用する政治屋も多い昨今、ぐりっと踏みにじられるのかなあと悲観しつつ、踏まれれば痛いのだ、と声が上がった事実は確実に残ったのですよ。

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2018年8月26日 (日)

あきれた。

なんだか、当たり前の、というか、こんなものが政治家の、日本の行政府を代表しようとする政治家のキャッチフレーズになってしまうのにも、悲劇を通り越して喜劇だと思ったものですが、それを口にすることも封殺しようとする人達が、日本の立法府において多数派を形成しているというのは、もう、喜劇を通り越して再び悲劇ではないかと思うのです。

「個人攻撃」って、政策論争にもならないような話題を俎上に挙げ得る状況をつくったのは誰なのか、したがって、政策以外の話は何でも「個人攻撃」になり得るが、そのような状況をつくったのは誰なのか、そもそも(「基本的には」ではない。)政策論争から逃避しているのは誰なのか。
この程度のimaginationも失せた人間が国民の代表などとは、所詮、民度相応ということでしょうか。

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2018年8月 7日 (火)

彼はどうなんだ。

140万円相当の接待。
家族ぐるみの付き合い。

あー、いやですね。

でも、それでは、腹心の友とやらから奢られまくって、「1億円はつぎ込んだかな」などと言われる彼はどうなるのか。腹心の友が熱望する大学の新学部開設に、陰に陰に(陰に陽に、ではない)支援した彼はどうなるのか。
世間では、こういうのを「腹心の友」ではなく「タニマチ」と呼びますが、お相撲さんと違って、桟敷席を融通するとかではない訳で。

官僚が接待されるときには、「家族ぐるみの付き合い」は、とてもダーティーな響きがあるのに、政治家が接待されるときには「家族ぐるみの付き合いであって、全く私的な友人」とかいうexcuseが罷り通るのも、おかしな話です。

お金や、インフォーマルな関係によって、政治・行政へのアクセシビリティが大きく変わるような世の中は、民主主義とは無縁です。
「違法ではない」というのは、「法による支配」であって「法の支配」ではありません。

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2018年5月 3日 (木)

脳細胞総入れ替え

国家あっての国民だと思っている人達が、近代或いは現代憲法を起草しようとしたって、そりゃあ駄目でしょう。

人間の権利というものに対する理解が決定的に欠落している人達は、権利は国家が保障することのみにおいて実現されると思っているから、国の責務さえ規定しさえすれば「新しい権利を確立」だと思ってしまう。
こういう思考様式を持つ人達は、国民の義務は、国家に対して果たされるべき義務だと思っているから、国家が保障する権利は、果たされるべき義務の見返りだと考えがち。

坊や、一体何を教わってきたの?

こんなメタレベルの話以前に、教育無償化を憲法に規定するとか、阿呆な話が横行していますが、既に教育を受ける権利/受けさせる義務は規定されており、それはべつに、63制義務教育に限定されるものでは無い筈で、63制はあくまで下位制度において規定されているのだから、無償でないことが原因で、能力に応じて等しく教育を受ける権利が実現されていないのであれば、下位制度で無償化を具現化すれば足りるし。だいたい、誰でもロハというのは、消費税の類の裏返しで、所得に対する逆進性が強いし。

胡散臭〜い。

第9条に第3項を新設しても「1ミリも変わらない」とか、そんなら、それ、やる必要ないでしょ?と突っ込まなくてはなりますまい。1ミリでも変わるから、変えたいという欲望があるから、こういうアイディアを出す訳で、本気で「1ミリも変わらない」と思っているとすれば、誤字脱字を訂正する程度にしか認識していない、つまり、法就中憲法をその程度の存在だと思っているに違いない。
どちらにせよ、このアイディアを公然と出した者は、然るべき立場にありながら、憲法を尊重する気がないし、現にしていないし。
所詮、戦争の親玉(戦争をしたい或いは戦争ビジネスで儲けたい人達)は、自分が戦場へ行くつもりなど無いのですから。「必要な自衛の措置」は、当然のことながら、「(集団的自衛権の行使を含む。)」という文字があぶり出しで表れる仕掛けになっております。
そもそも、集団的自衛権の行使はもちろんのこと、「自衛のための戦争」も、国家や国益(戦争ビジネスで儲かる人達の利益)は守るけど、国民は守りません。

帝国憲法の緊急勅令制定権の規定にも劣る、緊急事態条項とか、このアイディアを出した者は、ヒトラーになりたいのか?
行政府が施行した命令を、立法府が否認できないとは、まあ、「(私は)立法府の長でありますから」と複数回、答弁で宣っただけのことはあります。

家族が「自然」で基礎的な単位とか、家族の成員は助け合えとか、所詮は擬制に過ぎないものをa prioriな存在だと強弁されると、空恐ろしい。

況してや、国家などというものは、擬制の最たるもので、押し付けがましく、その擬制に至高の地位を与え、本来の主権者の上位に置くのは、一億総社畜化です。世界に冠たるブラック企業、大日本帝国会社の社畜。これがホントの押し付け憲法。

如何わしい事、この上ない。

「対案を出せ」とか「建設的でない」とか「批判のための批判」とか、恫喝にビビってはいけません。こういう物言いは、自らの案がcriticに応えられない、或いは、自らのメンタリティが人様からのcriticに耐えられない、といった幼稚な理由から発せられるものです。
批判は、それ自体に意味と価値があります。批判に耐えたものにこそ、批判に対する再提案によってこそ、正統性が生まれる筈です。
まぁ、無理な相談かな。criticalでもlogicalでもない発想と言語センスしか持ち合わせない人達、合法性しか念頭に無く「法の支配」を「法による支配」と勘違いしている人達には。
批判ばかりで建設的でない、という物言いは、暗に、原案のコンセプトに賛同しろという恫喝を含んでいます。原案のコンセプトそのものが賛同しかねるものであれば、それ、取り下げてください、という話にしかなりません。

なんしか、今の憲法を自民党草案のように変えるべきだと考えている人達(ホントは「変えたいんや」という欲望を表出しているに過ぎない人達)は、国家あっての国民、という意識と思考の倒錯を解消するという宿題を、まずは済ませてから登校してください。

脳細胞総入れ替えですかね。

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2017年10月22日 (日)

1931年

「危機」だの「国難」だの、外在するハザードや具体的でないリスクを煽り立てる者に、ロクな奴はいないということです。

1931年、色んな人が「危機」「危機」としゃべりまくっていたと言います。ただ、「何故」危機が来るかを、きちんと説明した人は、あまりいなかったようです。つまり、とにかく「危機」が来るという無根拠な前提があるだけで。
中には「5年後に危機が来る」と予言者めいた事を言う人もいたとか。その「5年後」である1936年に何が起こったか。文字にするのも嫌な話です。

80年前と同じ事は、多分起こらないでしょう。そりゃ、色んなバックグラウンドが違いますからね。
でも、少なくとも「現状維持」が選択されたのではない。
みんなでよってたかって、アクセルペダルをもっと踏んで良い、とけしかけることになりました。これからやることなすことに正統性legitimacyを与えてしまったことは確かでしょう。

Max Weberには説明不能∑(゚Д゚)

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2017年10月17日 (火)

相変わらずNHKだなぁ。

NHKテレビ総合のニュースを視ていたら、「ISの『首都』ラッカが陥落し、『国家』ISは事実上崩壊」と報じていました。

あのぅ…「首都」が制圧されたから、その「国家」が「崩壊」というのは、お目出度過ぎというものだと思うんですが。首都が制圧された後で、執拗に抵抗を続けた国家或いは国民など、歴史を想起すれば数多あるでしょうに。

こんなお目出度いこと(というか誇大表現)を使っているのはNHKくらいではないですかね。他のマスメディアは、もっと抑制利かせてますよ。
まあ、○○のプロパガンダの片棒を担いで、テロとの戦いに勝利とか言いたいのでしょうが、この御時世の国際的かつゲリラ的なテロルに対して、そもそも「勝利」があるのかどうか。

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2017年9月28日 (木)

国難突破解散

あの〜、「国難」に直面している時に、議会を解散する馬鹿はいないように思いますが…
既に嘘。大嘘。
嘘つきは泥棒の始まり。って子供の頃に教えられませんでしたか?

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「手段」っていうか…

よくわかりました。
共産党とは組めないけど、極右レイシストとは組めるってことですね。
前原誠司、前々から胡散臭い奴だと思っていましたが。やれ「理念が」「政策が」とほざいておいて、まだ理念も政策も提示していない連中と組むのですから、大したものです。
実態としては党首本人の離党ですよね。ただ、党首本人なので、党丸々離党(なんのこっちゃ)になると。
民進党には、代表不信任の手続きとかないんですかねぇ。民進党の規約をいちいちチェックしてる暇はありませんが。

終わりですね。

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