日記・コラム・つぶやき

2017年5月26日 (金)

おなかいっぱい。

今宵は「め・まんま」でワイン会。と言っても、私は呑みません(呑めません)。もはら、運転手で、美味しいものを食べること(だけ)が目的。


ね、美味しそうでしょう。


左の鶏は、和の煮込みです。牛蒡の味が染み込んで。



レアに焼いた鯛には、グレープフルーツをベースにオリーブオイルたっぷりのソース。変わってますね。トマトの中には、もち麦と玄米のリゾット。元々濃い味のトマトが、加熱することで益々濃い味に。



ビーフのソースは、醤油と味醂にバルサミコ。

あ〜、美味しかったsmile

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2017年5月21日 (日)

相対

元々肩こりがひどい私、2年程前から更にひどくなった上に、頸から肩甲骨周りが痛み始めて、最近は二の腕まで痛むことがあり、整形外科へ行ってきました。
X線写真とMRI造影で、付いた診断名は「頸椎症性神経根炎」。カルテ用のゴム印があったので、一般的なものなのでしょう。まだ、神経症状、すなわち痺れや運動障害は発生していないので、まあよしと。ヘルニエーションもなかったし。
治療は頸の牽引とマッサージor低周波。処方された薬は「リリカ」。ちょっと変な薬です。

さて、私の職場には口癖のように「常識だねぇ」「当然だねぇ」と言う人がいます。私もサラリーマンですし、「郷に入っては郷に従え」という言葉もあるので、周りの「常識」に合わせる努力してはいます。ということは、つまり、私にとって「常識」「当然」と思えない事がある訳で。

私自身は一種の相対主義者で、「常識」「当然」は、「いわゆる常識と呼ばれているもの」「いわゆる当然と思われているもの」でしかないと思っているのですが、どうも、そう思っていない人もいるのですね。
私には、思い上がりとしか思えない。少なくとも、自分のコミュニティの「当然」「常識」を以て、別のコミュニティと向き合うのは禁じ手だと思います。

「郷に入っては郷に従え」という言葉があれば、「十人十色」という言葉もあるのです。
気をつけたいものです。

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2017年5月20日 (土)

ピースは揃った。

一強体制≒翼賛政治。
一億総活躍社会≒国家総動員体制。
テロ等準備罪≒治安維持法。
安保法制=攻守同盟。
「改正」後の教育基本法≒教育勅語。

実質的に準備完了。
気付く人は気付いてた。

例えば、小林多喜二や山本宣治。

明日は、どっちだ、ではなく、明日はこっちだ。

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2017年2月22日 (水)

ネコ。

今日は「ネコの日」だそうです。何故「ネコの日」なのかは、よく知りません。
先月、奈良県は天川村へ行ったときに出会ったネコ。エラくデブで大喰らいのネコ。玄関先で座り込み。

かと思えば、落ち葉の吹き溜まりにもぐりこんで、お昼寝。

結構暖かいようです。

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2017年2月21日 (火)

大きなお世話

「プレミアムフライデー」とやらで浮かれる世間のごくごく一部。
んなこたぁいいから、有給休暇をさらっと取れる職場ひいては世の中にしてくれい。週末に旅行へ出かけたければ、金曜午後は自分で有給休暇取りますから。
物価上がって給料増えずに仕事も減らず。半強制的に早退させてくれるなら、無駄遣いせず、疲労回復、早く帰宅して早寝しますから。

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2016年12月25日 (日)

ステレオタイプ

たまたま、かつての大河ドラマ『春日局』を視ているのですが、登場人物のステレオタイプぶりには、今更ながら驚き呆れるばかりです。
日常生活の中ですら、人様を見、評するに、ステレオタイプは禁物であろうに、況や、表現者に於いてをや。
恐らく、視る側も楽チンなんでしょうな。考えなくていいですから。でも、特に表現者にとっては堕落と言っても過言ではないでしょう。

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2016年8月29日 (月)

却ってタチが悪い。

「殺すつもりはなかった」。
もし、本当に、殺すつもりがなかったのなら(多分、そうなのでしょう)、5人がかりで長時間にわたり袋叩きにして、死ぬかも知れないとは思わなかったという事ですから、恐るべき想像力の貧困であり、むしろ、殺意があった、と言うよりも、事態は深刻だと思います。
教育は学校だけのものではないし、子どもを育てるのは親だけではない。
罪は罪としても、少年に全ての責めを負わせて厳罰に処し、晒し者にする資格が、果たして、この社会に生きる全ての成人にあるのかどうか。

もう少し云えば、想像力の貧困は、加害者だけに向けられる非難或いは批判ではない。沈黙する傍観者、加害者を叩くことに血道を上げる野次馬に対しても、この批判・非難は向けられなければならない。
自分が、いつか、何処かで、加害者になっていたかも知れない、なるかも知れない。
犯罪者とか加害者と呼ばれる人達は、突然変異で飛び出してきた異物ではなかろう。俄かに上陸してきたロビンソン=クルーソーではなかろう。純粋培養されたヴィルスではなかろう。
自分が棲む世界から生まれてきた存在を、自分と何らの関係もないと考えるのは、思い上がり以外の何物でもなかろう。

人間は、後代に対しては責任を負うことができるが、過去(の人々)に対しては、必ずしも責任を負うことができるとは限らない。

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2016年8月 8日 (月)

あの方のこと

今日の、あの方のビデオ・メッセージ。
主語は「私」、立場は「個人として」でありながら、これほど「無私」という言葉が相応しいメッセージは無いだろうな、と思います。

引退したい、とか、公務が大変だ、とかでは全く無い。
この地位にある者は、全身全霊をかけて常に国民に寄り添うべきだ。しかし、誰しも老い、衰え、それが出来なくなる日がやってくる。

今までのbehaviorからも十分に分かることではありますが、あの方にとって、公務とは、憲法上の国事行為だけでなく、国中を巡り、国民に直接触れ、国民に常に寄り添うことが、国民統合の象徴としての極めて重要な仕事であり、国事行為と両輪とも言い得るのでしょう。

私は、「象徴」って、そこに居るだけでよいのだと思っていましたが、あの方はそのようには考えていないのですね。

摂政の規定は、国事行為の代行は想定していますが、あの方が考える、というより模索し続け、実行してきた「国民統合の象徴」としての役割と行動は、代行が相応しいのかどうか。そんな意図を感じます。

ということは、高齢だから公務の負担を軽減しようなどという話は、全く的外れですね。あの方は、公務の負担をどんと減らすなど以ての外の沙汰という気持ちなのでしょう。
公務を減らすとなれば、国事行為は減らせないでしょうから、「国民統合の象徴」としての仕事を減らすことになる。でも、そうなると、どうしても分け隔てが生じて公平でなくなるから、それは避けたい。そんな趣旨の発言も過去にありました。

自分の身は一切案じていないのです。
これほど「無私」という言葉が相応しい人も、この国には本当に少ないでしょうよ。

今日の「お気持ち」、違憲云々という人もいるようですが、恐らく、あの方が考える最善の(合法かつ正統な)手段をとったと思うのです。
この地位は国民の総意に基づくのですから、自らの身の処し方も、国民に問いかける形をとったのではないかと思います。

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2016年7月18日 (月)

「よく知っている」人

目下、1か月の長期出張中。第1クォーターbasketball終了。

宿舎はビジネスホテルのようなもので、荒れ放題の部屋に棲まう私にとっては、何ほどのこともなくcoldsweats01平日のばんごはんと、休日のごはんを確保するのがちょいと面倒ですが、10~15分も歩けば食べる処はあるし、コンビニへ行ってもよし。これも日常と変わらず。

さて、洗濯しつつ、出張報告書を書き始めてと。帰ってからまとめようと思っても、忘れてしまうこともあるし、何ページになるか分からないし(予想では50~60ページ?)、早目に書き始めるのが得策かと。

まずは、関連会社のふるだぬきさんたち(現役の方、OBの方)の色々な話を聞くことから。
皆さん、「百戦錬磨の強者」揃いで、過去の経緯も含めてよく知ってらっしゃるから、余程話し方に問題がある方でない限り、とても解りやすいけど、じゃあ、話している事が全て「正しい」かというと、そうではないかも知れません。
経験3か月余りの私が聴いていても「あれthink」と思うこと、或いは明らかに誤っていたり、勘違いしていたりすると思しきことも。

大阪の関連会社の方が言ってました。
「長くやっていると、『思い込み』もあるから注意しないといけませんgood

多分、この方の自戒も込めての発言だと思いますが、どうも、ウチの営業所の人には、このような謙虚さが足りないなぁ、と思う次第。

私と入れ替わりで他の支店へ行った隣の課の課長さんは、仕事ぶりも真摯で「とてもよく知っている」方だったそうですが、向かいの席の先輩は、その課長の見解に違和感を覚えたらしく、長時間談じ込んだものの、話は平行線をたどるばかりだったとか。

ついでに、私の前任者も「よく知っている」人で、私の上司の一人からはほとんど神格化diamondされいます。すなわち無謬であると。無謬な方はかみたまんしかいませんので。
でも、前任者がやったこと全てが正しかったかと言えば、私にはそう思えないのです。残された書類を見ると、ミスも結構あるし。もちろん、ミスは(人間なら)誰でもすることですが、御自分のミスを認めず、顧客の責に帰して処理したdespair事案も。これは、一般には恥の上塗りと言われる行為で、少なくとも私の会社では禁忌とされている筈なのですが。
それから、「持論(自論)」もしっかりしていた、と言われる人ですが、ではその「持論」が正しいことを論証或いは検証しているかと言えば、これもそうではなさそう。乱暴な言い方をすれば、「…と思う」を「…である」に勝手に飛躍させているという訳。

まあ、こんなことを思うのは一種の「嫉妬」かも知れないですdespair前任者と比較されますので。比較されるのはよいのです。自分の力量が、そこまで到達していないでしょうから。
ただ、比較に当たって、相対比較なら構わないのですが、絶対比較、つまり、前任者が全て正しいという前提と基準で比較されてしまうのは、正直言ってかないませんなぁ。ちょっとした改善のつもりで、前任者と少しでも違うことをしても、「間違っている(のではないか?)」という目gawkで見られる訳です。
逆に、社内一般ルールと整合しないことをしても、前任者と同じならOKdespair
なんだかなぁ。

出張報告書を書きながら、自戒混じりの愚痴です。

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2016年4月16日 (土)

これもまたくるべきもの

平成28年(2016年)熊本地震。
亡くなった方々の御冥福を祈りますとともに、被害地域にお住いの方々の道行きに少しでも光明がありますように。

木曜の夜、最初の地震が起こった時、TVのニュースを視て、中央構造線の西端だ!と思った人は多かったようで。そして、土曜の未明の「本震」、震源域も震度分布も東北方向へシフト、というより拡大しつつあるのを見ると、ああ、やっぱりと思う人も増えたでしょう。
私は、地震や地質や断層の専門家ではありませんが、そもそも「専門家」の間でも見方が分かれる事象が多くて、所詮、人間の浅知恵でわかる事は知れてるな、と思います。
だいたい「活断層」の定義も一定ではないし、断層はあくまで地表に表れている痕跡に過ぎません。中央構造線=中央構造線断層帯ではありませんが、根尾谷断層なんかを見ると、中央構造線近辺なら、昨日の畑が今日の断層、と思っておくのが賢い暮らし方だろうなぁ。
東海・東南海・南海だけではないよなぁdespair

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