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2018年8月

2018年8月26日 (日)

あきれた。

なんだか、当たり前の、というか、こんなものが政治家の、日本の行政府を代表しようとする政治家のキャッチフレーズになってしまうのにも、悲劇を通り越して喜劇だと思ったものですが、それを口にすることも封殺しようとする人達が、日本の立法府において多数派を形成しているというのは、もう、喜劇を通り越して再び悲劇ではないかと思うのです。

「個人攻撃」って、政策論争にもならないような話題を俎上に挙げ得る状況をつくったのは誰なのか、したがって、政策以外の話は何でも「個人攻撃」になり得るが、そのような状況をつくったのは誰なのか、そもそも(「基本的には」ではない。)政策論争から逃避しているのは誰なのか。
この程度のimaginationも失せた人間が国民の代表などとは、所詮、民度相応ということでしょうか。

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2018年8月 7日 (火)

彼はどうなんだ。

140万円相当の接待。
家族ぐるみの付き合い。

あー、いやですね。

でも、それでは、腹心の友とやらから奢られまくって、「1億円はつぎ込んだかな」などと言われる彼はどうなるのか。腹心の友が熱望する大学の新学部開設に、陰に陰に(陰に陽に、ではない)支援した彼はどうなるのか。
世間では、こういうのを「腹心の友」ではなく「タニマチ」と呼びますが、お相撲さんと違って、桟敷席を融通するとかではない訳で。

官僚が接待されるときには、「家族ぐるみの付き合い」は、とてもダーティーな響きがあるのに、政治家が接待されるときには「家族ぐるみの付き合いであって、全く私的な友人」とかいうexcuseが罷り通るのも、おかしな話です。

お金や、インフォーマルな関係によって、政治・行政へのアクセシビリティが大きく変わるような世の中は、民主主義とは無縁です。
「違法ではない」というのは、「法による支配」であって「法の支配」ではありません。

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何でも出来る

「なんにもない ということは 何でも出来る ということ」なのだそうです。
私は、逆の意味で、この言葉が

すとん

と落ちるのです。

なんでも出来る ということは なんにも出来ない ということ。

十数年前。私は、全く未知の仕事を担当することになり、不安に駆られながら、用事があって本社へ出掛けました。
たまたま、そのまた数年前に1年足らずお世話になった元上司と立ち話。

「この歳で、初めて○○の仕事を担当するんですよ」
「だぁいじょうぶ。あんた、なんでも出来るじゃない」

そう。
何でも出来るような気がした。自分はオールラウンダーなのだと思った。
でも、 それは幻想というか根拠無き信念というべきか。
その後、10年程の間に、何回か転勤し、病気長休も経験した。
その頃から、得意分野を押し出すように…と上司からしつこく言われるようになった。私は、何となく反撥する気持ちがあって、
「砂場で深い穴を掘ろうとすれば、必然的に穴の口は広くなる」
とか何とか言い回った。でも、その上司はしつこく、親切だった。得意分野が明確でない社員は「売りにくい」、つまり、本社の人事にアピール出来ず、今後の人事異動で不利に働く、というのだった。更に云えば、オールラウンダーだのジェネラリストだのは、本社で出世する少数の人達に求められるもので、私には無関係だということらしかった。

何でも出来る ということは なんにも出来ない ということ。

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