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2018年5月

2018年5月 3日 (木)

脳細胞総入れ替え

国家あっての国民だと思っている人達が、近代或いは現代憲法を起草しようとしたって、そりゃあ駄目でしょう。

人間の権利というものに対する理解が決定的に欠落している人達は、権利は国家が保障することのみにおいて実現されると思っているから、国の責務さえ規定しさえすれば「新しい権利を確立」だと思ってしまう。
こういう思考様式を持つ人達は、国民の義務は、国家に対して果たされるべき義務だと思っているから、国家が保障する権利は、果たされるべき義務の見返りだと考えがち。

notes坊や、一体何を教わってきたの?

こんなメタレベルの話以前に、教育無償化を憲法に規定するとか、阿呆な話が横行していますが、既に教育を受ける権利/受けさせる義務は規定されており、それはべつに、63制義務教育に限定されるものでは無い筈で、63制はあくまで下位制度において規定されているのだから、無償でないことが原因で、能力に応じて等しく教育を受ける権利が実現されていないのであれば、下位制度で無償化を具現化すれば足りるし。だいたい、誰でもロハというのは、消費税の類の裏返しで、所得に対する逆進性が強いし。

胡散臭〜い。

第9条に第3項を新設しても「1ミリも変わらない」とか、そんなら、それ、やる必要ないでしょ?と突っ込まなくてはなりますまい。1ミリでも変わるから、変えたいという欲望があるから、こういうアイディアを出す訳で、本気で「1ミリも変わらない」と思っているとすれば、誤字脱字を訂正する程度にしか認識していない、つまり、法就中憲法をその程度の存在だと思っているに違いない。
どちらにせよ、このアイディアを公然と出した者は、然るべき立場にありながら、憲法を尊重する気がないし、現にしていないし。
所詮、戦争の親玉(戦争をしたい或いは戦争ビジネスで儲けたい人達)は、自分が戦場へ行くつもりなど無いのですから。「必要な自衛の措置」は、当然のことながら、「(集団的自衛権の行使を含む。)」という文字があぶり出しで表れる仕掛けになっております。
そもそも、集団的自衛権の行使はもちろんのこと、「自衛のための戦争」も、国家や国益(戦争ビジネスで儲かる人達の利益)は守るけど、国民は守りません。

帝国憲法の緊急勅令制定権の規定にも劣る、緊急事態条項とか、このアイディアを出した者は、ヒトラーになりたいのか?
行政府が施行した命令を、立法府が否認できないとは、まあ、「(私は)立法府の長でありますから」と複数回、答弁で宣っただけのことはあります。

家族が「自然」で基礎的な単位とか、家族の成員は助け合えとか、所詮は擬制に過ぎないものをa prioriな存在だと強弁されると、空恐ろしい。

況してや、国家などというものは、擬制の最たるもので、押し付けがましく、その擬制に至高の地位を与え、本来の主権者の上位に置くのは、一億総社畜化です。世界に冠たるブラック企業、大日本帝国会社の社畜。これがホントの押し付け憲法。

如何わしい事、この上ない。

「対案を出せ」とか「建設的でない」とか「批判のための批判」とか、恫喝にビビってはいけません。こういう物言いは、自らの案がcriticに応えられない、或いは、自らのメンタリティが人様からのcriticに耐えられない、といった幼稚な理由から発せられるものです。
批判は、それ自体に意味と価値があります。批判に耐えたものにこそ、批判に対する再提案によってこそ、正統性が生まれる筈です。
まぁ、無理な相談かな。criticalでもlogicalでもない発想と言語センスしか持ち合わせない人達、合法性しか念頭に無く「法の支配」を「法による支配」と勘違いしている人達には。
批判ばかりで建設的でない、という物言いは、暗に、原案のコンセプトに賛同しろという恫喝を含んでいます。原案のコンセプトそのものが賛同しかねるものであれば、それ、取り下げてください、という話にしかなりません。

なんしか、今の憲法を自民党草案のように変えるべきだと考えている人達(ホントは「変えたいんや」という欲望を表出しているに過ぎない人達)は、国家あっての国民、という意識と思考の倒錯を解消するという宿題を、まずは済ませてから登校してください。

脳細胞総入れ替えですかね。

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